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2024年、日本を席巻したNetflixドラマ『地面師たち』。多くの人が「1話を観て引き込まれ、そのまま一気見をした」と言いますが、その1話のキーパーソン・佐々木丈雄役として出演されていたのが五頭岳夫さんです。『地面師たち』出演後は、以前にも増してさまざまな作品に引っ張りだことなり、2025年7月には長年の夢だったという歌手デビューも果たします。
競輪選手のサポート、コンビニでのアルバイト、飲食業など、役者以外の仕事と二足のわらじで経験を重ねてきた五頭さんは77歳(2025年7月現在)。劇団員として邁進、そして転機となった大病と現在の芸名への改名……どうしてここまで役者として心血を注ぎ続けられるのか、これまでの歩みと、これからの展望についてお聞きしました。
二足のわらじで走り続けた劇団員時代
――最初に「演技で生きていこう」と思われたきっかけは覚えていらっしゃいますか。
芸事に目覚めさせてくれたのはやっぱりおふくろですね。僕は六男六女の六番目の男の末っ子で、おふくろは高齢出産でした。親父は僕が生まれて半年のときに亡くなり、母がひとりで子どもたちを育ててくれていたんです。おふくろはよく映画に連れて行ってくれましたし、商工会議所が主催するような大衆演劇の公演にも、演技や歌に興味を持つ僕にだけチケットをくれて観に行ってこい、とか。
演じるという点では、小中学生のころから学芸会などの行事には、先生が必ず役をくれましたし、高校では同級生と市の文化祭に出たりしていました。その頃から本格的に舞台のおもしろさを感じていましたね。
おふくろに黙って東宝芸能学校(東宝株式会社が運営していた芸能学校。現在は廃校している)に入ろうと願書を書いていたのですが、見つかってしまって……泣かれましたね。兄弟が多く家が農家だったので、家を手伝わなければいけなかったんです。そこで泣かれたら断念せざるを得なかったですね。
その後は上京し、自動車の整備学校に行って、トヨタに入ったんですが、5年目に会社が合併したタイミングで芝居の勉強を始めました。劇団の養成所で2年間やって、73年に劇団に入団しました。劇団に入団してからは、残業がある仕事では迷惑をかけてしまうので、朝9時から17時までの仕事に切り替えました。
――どんなお仕事をされていたのでしょうか。
最初は競輪選手のサポートでした。他にはコンビニや、今でいうミシュラン系の串揚げ屋さんだったり。
――そういったお仕事はどのようにして選ばれたんですか?
ありがたいことに、人からの紹介です。先輩たちがよく面倒を見てくれました。僕自身が後輩に仕事を紹介することもありましたよ。当時、劇団は学生を対象にした演劇教室を中心としていて、全国を回っていたので、公演で地方に行ってしまうときは後輩に頼んだり。「帰ってきたときは俺がやるからな」って言って。
――いろんな仕事をされている中で、一番役に立ったと実感されたものはどういった仕事だったんでしょう?
すべてですね。レストランもお客さん一人ひとりの顔を見て、おいしそうに食べているのを見たり、この人は嫌いなものでもあるのかな、と思ったり。経営者だったり、いろんなお客様の話が聞けるのも勉強になります。初めての出会いでも、「この人はよく笑う人だな」「こんな笑い方をするんだ」とか自分の引き出しの中にいっぱいしまい込むんです。根本は人間に興味を持って、観察をしてそれを活かしています。
劇団では全国を回っていたので、いろんな方言も耳にしました。それを自分の中で音符化するんです。そうするとイントネーションも出てくるし。その方言でのお芝居が映画への出演オファーに繋がったことも何回かありますから。まあ、地元の人が聞いたら「それは違うよ」って言われることもあるんですけどね(笑)。
――常に演技のことを考えているんですね。
電車に乗っていても、「この人はどういう生活をしているんだろう」「どういう生き方をしてきたんだろう」「どうしてこういう座り方をするんだろう」と考えます。とにかく、どんなときでも人を見ていますね。
転機となった病と、エキストラからの再出発
――39歳から42歳のころは入退院を繰り返していたとか。
顎骨骨髄炎になって、顎の骨がいつ折れても不思議じゃないって言われましてね。金属プレートを入れる手術をしなきゃいけなかったんですが、劇団の翌年の公演スケジュールもある程度決まっていましたし、どうにかならないかとずいぶんと病院を聞いて回りました。
仕方なく手術は受けたのですがが、結局6回ほど受けることになりましたね。それでようやく終わったと思って、最終的にもう一度チェックしようと人間ドックに入ったら今度は胃がおかしい、と。ステージ3の胃がんということでまさに「ガーン!」でしたね(笑)。
――そこからまた手術を。
最初は胃を半分残せそうということだったんですけど、1回目の手術でガン組織が見つけられず、結局全摘出でした。今は食道と十二指腸が繋がっている状態なので絶えずお腹が空くんですよ。それが辛いですね。
――ご病気をきっかけに、舞台を降りられたんですか。
そうです。でも、「一回スポットライト浴びた役者が廃業するなんて言語道断だ」と僕は思っていました。悩んだ末日本にいても答えは見つからないと思い、1か月半ほどアメリカとヨーロッパに行きました。格安チケットを手配して、バックパックを背負って。
海外に行ってみたら、自分が知らない世界を垣間見れました。海外の人は明るくて、楽観的な人が多いでしょう。その人たちを見ていたら、自分も「なんとかなるんでねぇの?」と思えましたね。
――舞台を降りエキストラとして再出発されて、仕事との向き合い方に変化はありましたか?
人生が180度変わりましたね。それまでの人生を完全に捨て去るというか。エキストラ事務所に登録したのが50歳で、それから10年間はエキストラとしてだったので、芸名なんてありませんからね。
映像の現場では、舞台のときの名残で大きい声で演技して、「君なんでそんな大きい声を出すの」と言われたこともありましたよ(笑)。舞台を降りてもなんとか演技を続けたいという思いで、エキストラをしながら映像の世界を勉強していきました。
60歳のときに今の「五頭岳夫」という芸名を使い始め、名指しでお仕事をいただくことが増えました。監督さんから再オファーがあったり、こういう役で出てくれ、ってわざわざ台本にない役を差し込んでくれたり。
日本を代表する監督たちとの出会い。「ワンシーンに賭ける」役者に
――『地面師たち』のお話も伺わせてください。キャスティングはどのように決まったのでしょうか。
『地面師たち』の監督をつとめていた大根仁さんと初めてご一緒したのは『リバースエッジ大川端探偵社(※)』。そのあとすぐに『バクマン。』に出てほしいということでワンシーンだけ。そのあとテレビドラマがもう1本あって、今回が4作目です。
※テレビ東京系列の連続ドラマ
『地面師たち』は大根さんが脚本を書くときに、僕のイメージをもってあて書きしてくれたんです。
――五頭さんありきの役だったんですね。
それだけ監督の心の中に僕が残っていたんだ、というプレッシャーもありましたが、嬉しかったですね。
――以前の出会いが今に生きているんですね。
僕にとって監督との出会いは大きかったです。
そういうお付き合いの最初のとっかかりは三木聡監督でした。2007年の『図鑑に乗ってない虫』のホームレス役がおもしろかったと言って、それから次から次へとホームレスの役で呼ばれるようになりましたね。
――ワンシーンだけ呼んでもらう、というのはどういった理由があるんでしょう?
監督さんに、その人間性の魅力みたいなものがどっかで伝わったのか……ナチュラルに自然体で演じられていたのかな。それから僕の演技は、監督さんが「こういうことをしてほしいな」と思うことを「え? こんなふうにやっちゃうんだ」と意外性があるのかもしれません。
もとはやっぱり人間観察ですよね。そして人間として当たり前のことを演じればいい。それが監督さんにも認められたんだと思います。
――監督をはじめとした人間のつながりがあって、今まで来られたんですね。
ほとんどの出演作品がそうですよね。監督から声をかけてくれるんです。こんなに嬉しいことはないですよ。
76歳で“大バズり”した今とこれから
――『地面師たち』で、76歳でこうして大ブレイクされたことについてはどんなふうに受け止めていらっしゃいますか?
それについてはあまり考えていなかったですね。とにかく、生涯現役がモットーだったので、映像の世界に携われていければいいかな、というふうにしか思っていませんでした。それがまさかこんなにバズるなんて(笑)。
――お話をお伺いしていても、演じられることが楽しいんだな、と感じます。
だって違う人間を生きるんですよ。そんなおもしろいことないじゃない。舞台だったら総理大臣とか偉い役もできるんですから。
――まさにお聞きしたかったのですが、今後はどんな役柄に挑戦されてみたいですか?
来るもの拒まず。選ぶなんてできません。自分の中にその役の人物を埋め込んで違和感ない姿を描けたらいいかな。
――最後に、仕事をしながら夢を追う読者へ、メッセージをお願いします。
今回のCDのサブタイトルでもあるのですが、僕が人生を通じて体現している「継続は力」であるということを伝えたいです。それから「生涯現役」。僕はこの2つをモットーに仕事に向き合ってきました。
役者をやっていると、社会的な問題も背負いこまなければなりません。人間観察するイコール社会に生きている人間の姿を観察するっていうことですよね。人にはさまざまなバックボーンがあるわけです。
そうであっても、いろんな人たちがいるということに興味を持ち、やっぱり観察していくのが役者なんじゃないでしょうかねぇ。
編集後記
五頭さんは7月12日にCDデビューとCD発売記念特別イベントの開催を予定しています。
曲の作詞もご自身で行ったという五頭さん。今回そのレコーディングにも参加さてもらいましたが、「ここは伸ばしたほうが良さそうだね」など、ご自身の想いを曲に乗せるために尽力する姿が印象的でした。
何歳になっても挑戦し続ける姿を、私自身も見習いたいと思いました。
取材・執筆:ふくだりょうこ
撮影:安井信介
編集:プレスラボ