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苦節25年。夢見たお笑い芸人としてのブレイクを果たしたコンビがいます。今年(2023年)開催された、漫才グランプリ『THE SECOND ~漫才トーナメント~(フジテレビ系)』準優勝のお笑いコンビ「マシンガンズ」です。
"キレ漫才”という新しい形を生み出した二人は、芸歴10年目ごろ、人気お笑い番組への出演をきっかけに仕事が増えます。しかし、ブレイクの糸口を掴めず、その後の芸人人生は緩やかに停滞。
その間に、滝沢秀一さんはゴミ清掃員として話題の人になり、西堀亮さんは発明家として「静音 靴丸洗い洗濯ネット」を開発。メディアに出る機会は増えましたが、「お笑い芸人としては、このまま終わっていくと思っていた」と二人は語ります。
そんな二人が掴んだ漫才グランプリ準優勝の栄光。それに至るまでにどのようなことを考えながら芸人を続けてきたのでしょうか。25年の芸人人生から滲み出る人生論に迫ります。
収入ほぼゼロの若手時代。“キレ芸”で掴んだテレビ出演
——いつもラジオ「マシンガンズの働きタイミー(文化放送)」*でお世話になっています!MCをされてみていかがですか?
西堀さん:ラジオリスナーのアルバイト体験談を聞いていると、やっぱり「はたらく」っていろんな可能性を秘めているんだなと思いますね。人との出会いや人生観が変わるような体験もありますから。スイーツ屋とかケーキ屋とか、俺ももっと色々な仕事をやればよかったです。
*リスナーのアルバイト体験談を紹介するなど「バイト」にフォーカスしたトークラジオ番組。マシンガンズがMCを務める。初回特別版の「タイミーpresents マシンガンズのあれこれスキMAX」の内容はこちら。
滝沢さん:若い頃は時給が高いかどうかでバイトを選んでいたからね。ちょっともったいなかった。今思えば、好きじゃないことでも体験しておくのは大事だと思います。嫌な体験も話の種になりますから。
——たしかに、色々な経験が人生の糧になったりしますよね。今日はお二人の芸人としての経験を振り返りつつ、仕事観や人生観について聞きたいと思います。まずは、芸人になった経緯から教えてください。
西堀さん:高校の頃、彼女に「面白いからお笑い芸人になるといいよ」と言われたことがきっかけです。もともと学園祭とかで人を笑わせるのが好きだったので、ダメだったら他の仕事をすればいいという軽い気持ちで、やってみることにしました。
滝沢さん:俺は子どもの頃にテレビで見た爆笑問題の二人に憧れて、芸人いいなって思ったんです。学校の先生というもう一つの目標もあったので、大学で教職を取ろうとしていたのですが、大学2年生のときに西堀と会い、芸人になることを決めました。
出会ったのは、池袋のカルチャースクールが開設する「お笑い講座」。養成所よりも費用が安かったので通っていました。コンビを組むことにしたのは、周りは年配者ばかりで、芸人を本気で目指していたのは西堀だけだったからです(笑)
——結成当時はどんな芸人になることを目指していたんですか?
滝沢さん:ダウンタウンさんやウッチャンナンチャンさんのように、テレビのゴールデンで冠番組を持つことですかね。
西堀さん:そのためのステップとして、お笑いのライブハウスに立つ、事務所ライブで優勝する、テレビで活躍する、など細かい目標もありました。でも、順調にはいかず結構苦戦したんです。
滝沢さん:ネタが全然ウケなくてね。同期がどんどんテレビで活躍していく一方、俺らのお笑いの収入はほとんどゼロ。
西堀さん:若手の頃は、オーディションや番組のお手伝いにいく必要があります。それで時間が潰れるからアルバイトも十分にできず、ギリギリで暮らしていました。
——テレビに出られるようになったのはいつ頃からでしょう。
滝沢さん:2008年、コンビを組んで10年目くらいです。売れてこなかった恨みつらみを込めて、お客さんに悪口をいう“キレ漫才”がウケて、『爆笑レッドカーペット(フジテレビ系)』や『エンタの神様(日本テレビ系)』に呼んでもらえるようになりました。
西堀さん:当時二人でキレ芸をする漫才師はいなかったから、新鮮だったのかもしれない。周りからは「そんな芸人いないから売れないよ」って言われましたが、結果が出たらみんな手のひらを返しましたよ(笑)。
芸人人生の初の「谷」を経験。でも、お笑いは辞めない
——当時はお笑いでどのくらいの収入がありましたか?
滝沢さん:月70万円くらいですかね。それ以前は月5万円もらえるだけで喜んでいたので、すごい変化。ただ、そっからが大変でした。ブレイクの糸口を見つけることができないうちに、徐々に仕事が減っていきました。キレ芸も飽きられたのか、次第にネタがウケなくなってきたんです。
気づいたら30代半ばに。若手芸人を求めるテレビのオーディションには受からないし、何をすればブレイクできるか、まったくわかりませんでした。
西堀さん:俺らにとって、芸人人生初の「谷」の時期。コンビ結成からテレビに出られるようになるまで、いわゆる「山」をずっと登ってきたわけです。しかし、そこではじめて去年の自分に負ける体験をしました。
——お笑いを辞めようと思ったことはありますか?
西堀さん:ちょこちょことお金が入るので、辞めようとは思いませんでした。何か他のことをやるにも、お笑いをしながらやればいいと思っていたんです。
滝沢さん:辞めないようにする努力はしていました。大喜利やモノマネにも挑戦してみたんです。でも、全部ダメでした。「可能性を潰していく作業」と言うんでしょうか、選択肢を一つひとつ潰して、どの領域であれば自分たちにできるのかと考えていました。最終的には、もう一人加えてトリオになることも検討していたんです(笑)。
でも、さすがにそんな日々が10年以上続いたので、今年(2023年)の『THE SECOND』前には「もう芸人としては終わっていくのだろう」と思っていました。
——「終わるかもしれない」と思いながらも続けられたのはなぜでしょう。
西堀さん:俺の場合は、まったく売れていない芸人がいきなり忙しくなる姿を何度もみてきたから、可能性を捨てきれなかったんです。錦鯉もそうだし、有吉さんもそう。成功体験のイメージは持っていて、自分も50%くらいはブレイクできる可能性があると思っていました。
西堀さん:夢を途中で諦めてしまう人って、多分、自分で期限を決めてしまうんだと思います。「30歳になったら真面目に働いたほうがいい」などと、どこかに境目を作って辞めてしまう。
結婚したりお子さんができたりして、お金が必要になったならわかります。でも、そうでなければ、だらだらと夢を追い続けることって、なにも悪くないと思うんです。
滝沢さん:夢を追うのが楽しいなら、続ければいいと思います。そう考えると、「目の前の状況や環境をどれだけ楽しめるか」が大切なんです。今やっているゴミ清掃員の仕事も、楽しめない人はすぐ辞めちゃいますからね。
自分で仕事を選び、スキマ時間を経験やお金に変えられる時代
——大変だったり、苦しかったりする状況を楽しむ秘訣はありますか?
滝沢さん:俺はよく、頭の中で「スターになったら、この辛い体験もドキュメンタリーにできる」と想像するんです。現実逃避ですけど、楽しそうに過去の体験を話す未来の自分をイメージすると、ちょっと前向きになれます。
あとは、苦しい、嫌だという感情も一度振り切ってしまえば、前向きになるしかないというのもあります。ゴミ清掃の仕事を始めた頃は、分別できない人たちによくムカついていました。ただ、散々独り言で文句を言っていたら、徐々に「ムカついても自分のストレスになるだけだ」と思うように。それから「分別してもらうにはどうしたらいいのか」と前向きに考えられて、仕事も楽しくなっていきました。
西堀さん:悩んだりしがちな人は、スキマ時間を作らないことも大事だと思います。人は暇な時に悩みますからね。俺は芸人の仕事がなくて塞ぎがちだった時に発明を始めました。すると、「仕事から帰ったらあれをちょっと作ってみよう」「必要な道具を買いに工具店に行ってみよう」など、なんだか生活にハリが出てきたんです。
——たしかに、やることがない時が一番苦しいのかもしれませんね。
西堀さん:そういう意味でも、タイミーはいいサービスだと思いますよ。好きな時に働いて、スキマ時間を体験やお金に変えられるわけですから。若手時代にあったらやりたかったです。
滝沢さん:自分で仕事を選んでいいって、すごい時代ですよね。俺らの時代は、アルバイトにしても芸能にしても「代わりはいくらでもいる」って言われていました。
西堀さん:それに比べて、タイミーでは「働きに来てください」とお店側が言っているわけでしょう。自分が必要とされてる場所で働けるって、当たり前のようでかなり嬉しいことです。
普通なら、働き手側から面接に出向いて「採用してください」と言わないといけない。それってお店主体ですよね。でも、タイミーなら働き手主体で仕事を選ぶことができる。これは革命だと思います。
自信がない時もエントリーし続けた人が「幸運」を掴む
——ありがとうございます。話題をお二人に戻しますが、「このまま終わっていく」と思っていた時代を経て掴んだ『THE SECOND』の準優勝は、どのように捉えていますか?
滝沢さん:ラッキーだと思っています。ネタをやる順番も運が良かった。
西堀さん:それに尽きるね。いろんな人から「優勝したかったですか?」とよく聞かれるんですが、準優勝で上出来ですよ。その前日まで仕事がなかったですからね。忙しくなって半年も経っていないので、まだまだ気持ちは仕事がなかった頃のままです。
——幸運と言っても、それを掴める人と掴めない人の違いはあるのではないでしょうか?
西堀さん:幸運を掴めるのは、エントリーをし続けた人だと思います。今回で言えば、大会に申し込まなければ優勝する可能性はゼロでした。ファミレスの順番待ちみたいに名前を書いておくだけでいいのに、大体の人は自信がある時や準備が整ってから挑戦しようとします。
滝沢さん:自信がある時にエントリーして、結果が出なかったらメンタルがやられちゃいますからね。大した準備ができていなくても自信がなくても、エントリーし続けたほうがいいです。俺らは、今回その一つをたまたま掴めただけ。
あと、周りを見ていて思うけれど、一回でも足を止めたら終わりですね。たとえば、借金をゼロにするため一度お笑いを辞めて就職した人で、この世界に帰ってきた人はいません。多分「もう無理だ」と、われに返っちゃうんでしょうね。
西堀さん:だから、ライブを3か月休むくらいなら、3回の駄作をやったほうがいい。駄作なんて誰も覚えていませんよ。走れなくても、せめて歩いていれば進めますから。
——歩き続ければ、いつかは成功できると?
西堀さん:成功するかどうかはわかりません。だって、それは自分が決めることではないですから。俺らの仕事が減ってきた時も、自分で「失敗」と決めたのではなくて、ネタがウケなくなったり仕事が減ったりして、周りの状況が教えてくれたんです。
努力でどうこうできない部分があるのは残酷な感じもしますが、逆に言えば、成功も失敗も勝手に誰かが決めるんだから、自分のやりたいようにやっていい。夢や目標があるなら、周りから言われることを気にせず、その過程を楽しみながら歩き続けたらいいんだと思います。
——すごく勇気をもらえる考え方だなと思います。ありがとうございました。では、最後にお二人の今後の目標を教えていただけますか?
西堀さん:俺は常にお笑いという「お祭り」の中にいたいと思っています。芸人ってみんな笑わせようとしているし、一緒にいて楽しいんですよ。その一員でい続けたいです。
滝沢さん:楽屋で話したり打ち上げで飲んだりするのが、一番楽しいよな。売れない時代を共に戦ってきた芸人たちと、一緒に仕事をして打ち上げをするというのが一つの目標ですね。
——滝沢さんはゴミ清掃、西堀さんは発明のほかにドラマ出演など、活躍の幅が広がっていますね。お笑い以外の目標も教えてください。
滝沢さん:ゴミ清掃員として日本のゴミを減らしたいので、そのために海外の事例を学ぼうと思っています。ゴミ削減が進む北欧を視察したり、発展途上国のゴミ山を見に行ったりするためにも、今は英語も勉強しているんです。
西堀さん:滝沢のその夢に、俺は入っていないんだよな(笑)。
滝沢さん:二人で一緒にやれることも考えたいですね。それこそタイミーさんと一緒に何かできるかもしれない。俺はごみ収集の仕事の担い手として、西堀は働き手側として、タイミーを使ってみるとかね。
西堀さん:『芸人という病』(双葉社)にも登場する売れていない芸人たちに働いてもらうシリーズも面白そう。働いた後に、そこで知り合ったおじちゃんたちと一緒に飯を食ったりするんです。しかも、その店の働き方を映像にできれば、他のワーカーさんにも役立つはずです。
俺らのYouTube『マシンガンズチャンネル』でやろうとなったら、お金の面も含めて相談させていただきますね(笑)。
(取材・執筆:佐藤 史紹 、写真:村井香、編集:齋藤 裕美子)
- タイミーラボ編集部
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