私のタイミー生活

「まだ売れていない。でも俺の人生は100点だ」——“バイトやめられない芸人”「TAIGA」が、夢に挑戦し続ける理由

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「まだ売れていない。でも俺の人生は100点だ」——“バイトやめられない芸人”「TAIGA」が、夢に挑戦し続ける理由

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人はいつまで夢を追い続けることができるのでしょうか。歳を重ね、現実を知り、「あんな夢もあったな」と、そっと心に仕舞いこんだ経験がある人もいるかもしれません。でも、なかには夢を夢で終わらせず、実現するために走り続ける人がいます。サンミュージックプロダクション所属のお笑い芸人「TAIGA」さんも、そのひとり。

TAIGAさんは「スーパースター」を目指して、23歳で芸能の世界に入りました。そして、47歳になった今、まだその夢を叶える過程にいます。お笑いコンビ「オードリー(ケイダッシュステージ)」や「ぺこぱ(サンミュージック)」といった多くの人気芸人に慕われ、「アメトーーク! 40歳過ぎてバイトやめられない芸人」(テレビ朝日・ABCテレビ系)に出演するなど、着実に芸人としての仕事を増やしてきました。でも、今もアルバイトを続けています。

そんな状況のなか、TAIGAさんが諦めずにお笑い芸人を続けることができるモチベーションとはなんでしょうか。お笑い芸人として売れることを目指した原点、そして芸人仲間から慕われるTAIGAさんの魅力とは。TAIGAさんが夢に挑戦し続ける理由に迫ります。

「売れて、焼肉を奢りたい」。仲間や家族への恩返しが原動力

「売れて、焼肉を奢りたい」。仲間や家族への恩返しが原動力_01

——TAIGAさんの近況を教えてください。お笑い芸人の仕事とアルバイトは、どのくらいの割合でされていますか?

3分の1が芸人の仕事で、残りがアルバイトです。お笑い芸人としては、テレビやラジオを中心に週1〜2回、出演するくらい。それでも昔と比べたらかなり増えました。

テレビに出られるようになったきっかけは、2021年に出演した「アメトーーク! 40歳過ぎてバイトやめられない芸人」(テレビ朝日・ABCテレビ系)です。面白いと思ってもらえたのか、他の番組にも呼んでもらえるようになりました。また、昔から仲のいい後輩のオードリーやぺこぱ、カズレーザーなどの芸人仲間がテレビで名前を出してくれたり、司会の番組にゲストとして呼んでくれたりするんです。

ただ、テレビだけで“食える”芸人は、ほんのひと握りです。ほとんどの芸人は、地方イベントなどの“営業”が収入源になっています。コロナ禍でそうした機会は減り、まだ以前ほどには戻っていません。妻と2人の子どもを養うためにアルバイトを続けているのが現状です。

——こんなことを聞くのは失礼だと思いますが、芸人を続けることが嫌になった時期はなかったのでしょうか。

ありますよ。30代後半は「この年齢までやってダメなら、さすがに諦めよう」と思っていました。芸人としての仕事もショーパブに出演するくらいでしたし、周りの芸人仲間が売れ始め、明暗が分かれるのを感じていましたから。年齢的にも就職するにはラストチャンス。お金がない生活に嫌気がさしていました。

「売れて、焼肉を奢りたい」。仲間や家族への恩返しが原動力_02

——それでも続けられたモチベーションはなんですか?

これまでたくさんの人が支えてくれたので恩返しがしたかったんです。本当に辞めようかと思ったタイミングで、オードリーが番組やライブに呼んでくれました。他にも、300人規模の単独ライブを、友達が満席にしてくれたこともあります。彼らの期待に応えたいと思い、なんとか続けてこれました。

あとは家族の存在も大きかったですね。当時、まだ結婚していなかった今の嫁は、いつもライブに来てくれて「今日も一番面白かった!絶対売れるよ!」と励ましてくれました。彼女が信じてきたものが間違いじゃないと証明したいんです。

若い頃は「売れてお金持ちになってキャーキャー言われたい。女性にモテたい」と自分のことばかり考えていましたが、今は、早く売れてみんなに焼肉を奢りたいと思っています。

相手が誰でも変わらない、人付き合いのスタンス

——なぜ、TAIGAさんの周りには応援してくれる人が多いんでしょう。

どうですかね(笑)。自分ではよくわかりません。でも、よくオードリーの若林が「売れてから高級イタリアンを奢ってくれた人よりも、売れていない時代に牛丼を奢ってくれたTAIGAさんのほうが覚えている」と言ってくれるんです。

——昔から兄貴肌なところがあったんですね。人付き合いにおいて大切にしてきたことはありますか?

「自分がされて嫌なことを、相手にしない」です。基本的ですけどね。

ずっと芸人としての底辺にいたので、人の嫌なところをよく見てきました。お金や権力を振りかざす人もいた。「君は売れない」と言ってたくせに、僕が有名な番組に出たら手のひら返しをする人もいた。そんな人たちを反面教師にしてきたんです。

相手が誰であろうと変わらない、人付き合いのスタンス_01

「嫌なことをしない」と「注意や指摘をしない」は違います。人として違うと思う部分があれば、きちんと注意をします。以前、ブレイクし始めたばかりの“ぺこぱ”が、帽子を被ったまま挨拶するシーンに遭遇したので、「偉そうだぞ」と怒りました。

彼らは悪気があったわけじゃなく、礼儀を知らなかっただけ。でも、周りの人たちが、2人に嫌われたくなくて注意できていなかったんです。注意されないって、彼らのことを本当に考えたら可哀想じゃないですか。

だから「どれだけお前らが売れても、間違っていたら俺だけは注意するからな」と伝えました。売れているとか売れていないとか関係なく、ひとりの人間として付き合うことが大切だと思います。

父親の死がきっかけで「お笑いで稼ぐ」覚悟を新たに

——TAIGAさんが慕われる理由がわかったような気がします。では、少し話を過去に戻して、なぜお笑い芸人を目指すようになったのかを教えてください。

もともとお笑い芸人になりたかったわけじゃないんです。具体的な目標はなく、芸能界で売れて「スーパースター」になりたいと考えていました。

そう考えはじめたきっかけは、新卒で入った会社でサラリーマンとして働いていたときのこと。友人の結婚式で司会を任されました。そこで、マイクを持ってスポットライトを浴び、注目の的になることの気持ちよさを知ったんです。「俺がやりたいのは、表に立つ仕事なんだ」とピンときて、すぐに働いていた会社を退職しました。そして、誰もが顔を知っているスーパースターになることを夢見て、タレント活動を始めたんです。

——サラリーマンとして働かれていたこともあったんですね。タレントから本格的にお笑いへ転向したきっかけはなんでしょうか。

「そっくり館キサラ」という“モノマネパブ”に出会い、お笑いの世界に魅力を感じたんです。ステージで人を笑わせて、面白かったら売れていく。コネや事務所の力に関係なく、実力勝負ができるところに惹かれました。スーパースターになるためには、お笑い芸人として、キサラのステージに立つことが近道だと考えたんです。

ちなみに、そこで一緒にアルバイトしていたのが、オードリーの春日です。彼は遅刻はするし仕事の覚えは悪いしで、アルバイトとしてはダメダメ(笑)。でも、なぜか僕には懐いてくれてたので、よく一緒に遊んでいました。

相手が誰であろうと変わらない、人付き合いのスタンス_02

——オードリーのお二人とは、そこからの付き合いなんですね。お笑いに転向し、キサラでステージに立つ日々。手応えは感じていましたか?

正直、感じていました。「爆笑レッドカーペット(フジテレビ)」や「エンタの神様(日本テレビ)」などの人気番組にも呼ばれるようになったので、そのうち売れるだろうと思っていたんです。でも、いま振り返れば、その考えは甘かった。番組のオーディションには受かるけれど、ブレイクする気配がない日々が10年近くも続き、気づけば30代になっていました。

お笑いでは稼げないので、羽振りのいい経営者の飲み会に行っては、芸を馬鹿にされたり笑い物にされたりして小遣いをもらっていました。いわゆる「ギャラ飲み」を頼りに生活していたんです。

——ブレイク前の芸人さんには、よくあることだと聞きます。しかし、News Crunchで連載されている自叙伝「TAIGA晩成 ~史上初! 売れてない芸人自伝~ 」には、「あることをきっかけに、ギャラ飲みを辞めた」と書いていましたね。

心臓発作で父親が亡くなったんです。父は典型的な昭和の人間で、酒癖が悪く、頑固な人でした。息子が芸人であることをどう思っているのか、僕は聞いたことがありません。そんな父を見送ったあと、病室で母が教えてくれました。「病院の先生に『息子がテレビに出るんだ』って、自慢げに話していたよ」と。

陰で応援してくれていた父の姿を想像して、涙が止まりませんでした。一生懸命育ててくれた父を思うと、真剣に取り組んでいる芸を馬鹿にされ、その代わりにお金をもらうような惨めな稼ぎ方は辞めようと思いました。その時、僕は36歳。「お笑いで稼いでやる」と、改めて覚悟した瞬間でした。

相手が誰であろうと変わらない、人付き合いのスタンス_03

平等に時間は過ぎる。人生は楽しんだもん勝ちだ

——それから約10年が過ぎ、徐々にお仕事も増え、アルバイトを続けながらではありますが、ご家族を養うこともできている。ご自身の現状をどう捉えていますか?

現状に満足はしていません。もっと売れたいです。そのためにネタ作りやライブの企画を頑張りたい。でも、もし自分の人生の点数を聞かれたとしたら、僕は迷わず「100点」をつけます。

仲間や友達がいて、アルバイトをしながらだけど家族を養えている。そしてなにより、好きな仕事ができているのが嬉しいんです。人生で一番辛かったのは、仕事がないことでした。それを経験しているからこそ、お笑いの仕事ができているだけで、楽しめているのかもしれません。

僕の座右の銘は、「人生は楽しんだもん勝ち」です。どんなに悩んでも、迷っても、時間はだれにも平等に過ぎ、終わりは必ず来る。だったら楽しまないと損ですよ。

——TAIGAさんのように、日々を楽しみながら夢を追い続けるためにはどうしたらいいでしょうか?

偉そうなことは言えませんが、一番大切なことは「初心を忘れないこと」だと思います。夢に向かって進んでいる途中、上手くいかないことがあると、好きで始めたことが嫌になる瞬間があるんです。ショーパブに出演できるだけで嬉しかった僕も、売れない時期が続いて、いつの間にかステージに立つことが嫌になっていました。

平等に時間は過ぎる。人生は楽しんだもん勝ちだ_01

でも、「なぜこの仕事を始めたんだっけ?」と自問自答したら、やっぱり「好きだからだ」と思えたんです。苦しいこともあるけれど、それもすべてを含めて好きなんだと思えた時、前向きな気持ちを取り戻せました。

——「好きだから」というシンプルだけど力強い理由があれば、前に進めるんですね。

あとは、「誰のための夢なのか」を考えてみてもいいかもしれません。きっと人は、自分のためだけに頑張っていると、どこかで辛くなるんだと思います。家族や応援してくれる友人のためだったり、お客様のためだったり、自分以外の人のことを思い浮かべれば、力が湧いてくるんじゃないでしょうか。

僕の夢は、今も変わらず「スーパースター」です。そのためにも、まずは芸人として売れて冠番組を持ちたいし、「TAIGAを見たい」という人に笑いを届けたい。これからも家族や周りの人に恩返しできるよう、芸を磨きたいと思います。

平等に時間は過ぎる。人生は楽しんだもん勝ちだ_02

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/media/タイミーラボ編集部
タイミーラボ編集部

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