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すぐに働けてすぐにお金がもらえるという特性から、夢を追求する方々に広くご利用いただいているタイミー。タイミーラボはこれまで、音楽家やスポーツ選手といった方々がどのようにタイミーを利用されているのか、取材を重ねてきました。
今回編集部が取材したのは、舞台俳優として活躍されている冴瑪悠(さえば・ゆう)さん(46)。冴瑪さんは、出生時の性別は女性でありながらも自認する性別は男性というトランスジェンダーです。
冴瑪さんが、俳優を志した背景とは。芝居を通じて、トランスジェンダー当事者として伝えたいことは何か。当事者としてのこれまでの苦悩と、俳優としての今に迫ります。
俳優とバイト 二足のわらじ
—— 舞台俳優として活動されているとのことですが、普段はどのような作品に出演されているのでしょうか?
現在は主に、オペラ劇で助演のお仕事をさせていただいています。また、ライフワークのようになっているのが、劇団「トランス☆プロジェクト」での活動です。「トランス☆プロジェクト」は、主にトランスジェンダーをテーマにした舞台を、当事者と非当事者が共同で作り上げています。私自身は、当事者として団体の草創期から携わっているんです。
—— タイミーは、どのような背景で使い始められましたか?
俳優活動と並行して20年以上続けている カー用品店でのアルバイトで、シフトに入りづらくなったことをきっかけに使い始めました。あたらしく掛け持ちのバイトを探そうにも、俳優であることを告げた途端、断られることも多くて......。単発のバイトを探している時に、CMでタイミーのことを知り、使い始めました。
—— 俳優だと伝えると断られてしまうんですね......。
稽古期間が始まると、シフトに入れなくなってしまうことが多いからか、採用されないことが多いんですよね。その点タイミーは、自分の好きなタイミング、好きな場所で働けるので、重宝しています。
所属している会社の契約によって様々ですが、私の場合は公演終了月から約3ヶ月後に、出演料の支払いがあることが多いので、すぐにお金が振り込まれる点もありがたいですね。タイミーで稼いだお金は、稽古場までの交通費や舞台仲間との交際費にあてています。
スポーツを続ける中で、膨らむ違和感
—— 冴瑪さんは、出生時の性別と自認する性別が一致していない「トランスジェンダー」とのことですが、性別への違和感はずっとあったのでしょうか?
幼い頃から、自分の性別に対する違和感は持ち続けていました。赤のランドセルより黒のランドセル。おままごとより外で運動することを好んだ私は、「女なのに変なの」と周囲から好奇の目で見られていました。当時は今より、男らしさや女らしさを求められた時代で、座り方や話し方など、日常の隅々にまで「女は/男はこうあるべき」が溢れていました。先生や親にしょっちゅう立ち振る舞いについて注意され、日々息苦しさを感じていたことを覚えています。
運動が大好きだったので、小学生の頃に陸上競技を始め、高校では体育科を選び、陸上競技を続けていました。しかし、高校2年生のある日、クラスの友人からサッカーサークルの練習に誘われたことをきっかけに、サッカーにのめり込みます。それまで個人競技をしていたので、団体でプレイすることの面白さに目覚めてしまったんですね。その後、ご縁があって紹介されたプロサッカーチームに、ゴールキーパーとして採用され、活動していました。
プロフェッショナルな選手たちと切磋琢磨する充実した毎日を過ごす中、ある日、たまたま立ち寄った本屋で一冊の本が目に止まります。それは、虎井まさ衛さん著作の『女から男になったワタシ』(青弓社)です。海外で性転換手術を受けた筆者の半生を知り、自分と同じ境遇の人がいたことに衝撃を受けました。
昔からずっと抱えていた違和感に名前がついたことで、これからも「女性」のプロ選手として活動しなくてはいけないことに対する絶望感が膨れ上がっていきました。この先も、自認する性とは異なる性として生きていかなければいけないことが、とても辛かったんです。
それ以降練習にもどんどん身が入らなくなり、チームに所属してから2年後には戦力外通告をされました。これからどう生きていけばいいか、どんな生き方をすればいいのかを見失って次第に心を病み、一時は生きることさえ放棄しようとしたんです。
—— スポーツに特有の、男女にくっきりと区別された枠組みが冴瑪さんを苦しめたのですね。
そうですね。でもその後、もう一度スポーツの世界に入るんですよ。塞ぎ込む私をみかねた父に「ゴルフをやろう」と誘われ、自らの人生に悩んでいた私は、なかば投げやりな気持ちでゴルフ場所属の研修生になったんです。
しかし、そこでも「女子プロ」という呼称や、男物のウェアを着る私に対しての遠慮ない視線に苦しめられて......。「男なの?女なの?」と聞かれたり、「じゃんけんで負けたやつがあの子に性別を聞いてこい」なんて、ゲームのネタにされたりすることもしょっちゅうでした。
そんなある日、人生の転機が訪れます。1998年、埼玉医科大学が国内で初めて性別適合手術に成功し、専門外来を開始したのです。ニュースでたまたまその事実を知った私は、「外来に行けば自分が何者かわかるかもしれない」との思いで、すぐに受診しに行きました。正式に性同一性障害であると診断された時、なぜかホッとして、「自分はここにいていいんだ」と思ったことを覚えています。
約2年間カウンセリングに通った後、ホルモン治療を開始。今は胸の整形手術も終えて、男性そのものの外見になっています。本当は戸籍も男性に変更したいのですが、「性同一性障害の特例法」で規定されている要件(*)を満たしていないため、未だ変えられていません。
*「子どもがいないこと」「婚姻をしていないこと」「性器が自認する性と似た外見をしていること(性別適合手術を経ていること)」などが要件として求められている。2023年10月25日の性同一性障害の特例法の大法廷では、一部要件を「違憲」とする判断がなされ、議論を呼んでいる。
セクシャルマイノリティについて知ってほしい。俳優を志した過去
—— ずっとスポーツを続けられてきたとのことですが、舞台の世界に飛び込んだきっかけは何だったのでしょうか?
虎井さんが出版されている「FTM日本」というミニコミ誌の掲示板コーナーで他の当事者と交流していた時のこと。掲示板コーナーに掲載されていた「トランスジェンダーにまつわる舞台を作るために、当事者の方の話を聞きたい」という投稿に目が止まったんです。それは、トランス☆プロジェクトの代表である、月嶋紫乃さんによる投稿でした。
最初は脚本作りだけに協力するつもりで稽古場に通っていたのですが、たまたま台本読みに参加させてもらった時に、その楽しさに魅了され、俳優として活動することにしました。一つの作品を、演出、俳優、舞台美術、音響、照明スタッフさんなど、その他たくさんの人たちが力を合わせて完成させる過程に、魅力を感じたんですね。今振り返ると、誰にも相談できない悩みを抱え孤独を感じる人生だったので、仲間と何かを成し遂げるということに潜在的に惹かれるのかもしれません。
—— どのような思いで、演劇による表現の活動を続けられているのでしょうか?
あたかも存在しないものとして扱われ、社会的に生き方が保証されていない。そんな状況を少しでも変えるために、世の中に私のような存在を知ってほしいという思いで活動しています。
—— 社会的に生き方が保証されていないとはどういうことでしょうか?
これまで様々な場面に遭遇してきましたが、一例をお話ししますね。
選挙の投票に行った時、当時、投票券に記載されていた戸籍の性別と見た目の性別が違うからという理由で、入り口で入場を差し止められたことがありました。周りに投票の列が滞留し、大勢の人が並んでいる状況で、私は性同一性障害の当事者であるという説明をしなければならなかったんです。本来であれば、自分がどんな性別なのかなんて説明する必要はありませんよね。そうした場面に遭遇するたびに、自分は社会的に認められていない存在なんだと自覚し、消耗してきました。
ここ最近、セクシャルマイノリティをモチーフにした映画やドラマなどの作品が増えてきました。当事者による活動がニュースにも取り上げられ、認知は広まっているように思えます。でも、まだまだ社会的に認められていないことはたくさんある。この状況を変えるために、私は演劇という形で、セクシャルマイノリティについての正しい知識の発信や表現を続けています。
—— 今は、芸能事務所にも所属されて、活動の場を広げてらっしゃいますね。
芸能界には、「出生時の性別は男性で、性自認が女性」のトランスジェンダーやゲイの方は多く活躍されている一方、「出生時の性別は女性で、性自認が男性」のトランスジェンダーやレズビアンは、あまりいないじゃないですか。私は、そこにアンバランスさを感じているんです。
今よりもそのバランスが取れれば、芸能界における多様性も広がるし、それがひいては本当の意味でのセクシャル・マイノリティに対するタブー視の風潮の改善に繋がるのではないか。そんな思いで、活動を続けています。まあ、有名になるのって、なかなか難しいんですけどね.....頑張ります(苦笑)。
今後も、セクシャルマイノリティについての理解がもっと広まるように、俳優として表現を続けていきたいです。
- タイミーラボ編集部
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