私のタイミー生活

「生きてきた中で、今が一番幸せです」——亡き娘との約束を果たすため、悲しみを乗りこえ前に進み続ける母の生き方

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「生きてきた中で、今が一番幸せです」——亡き娘との約束を果たすため、悲しみを乗りこえ前に進み続ける母の生き方

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タイミーを利用して働いたことで、人生に変化が起きたワーカーさんがいます。クリームパンで有名な「八天堂 エキュート立川店」で働く、原田直美さんです。3年前(2019年)に突然、体調不良で寝たきり生活となってしまった原田さんは、2年間の休養を経てタイミーをきっかけに社会復帰をされました。

体調を崩すほどの過労な日々を過ごしていたのにはわけがあります。それは娘の「瞳さん」に関すること。18年前、瞳さんはガンによって13歳という若さで亡くなってしまったのです。瞳さんが生前に残した「作文」に込められた想いを伝えるため、講演活動をする多忙な生活を16年以上続けてきました。

瞳さんが残した作文のタイトルは「命を見つめて」。闘病生活を通じて知った命の尊さについて、そして世界平和への願いを書き記したこの作文は、全国的な評価を受けました。さまざまなメディアに取り上げられ、現在は小中学校の道徳の授業でも扱われています。

今回は原田さんに、悲しい出来事や苦しい状況を乗り越えられた理由と、タイミーを通じて働くことができた経緯について聞きます。

ガンで余命半年。娘に下された突然の宣告

——まず、タイミーに出会う前のお話から伺いたいと思います。瞳さんのご病気が判明した時のことを教えてください。

娘のガンが見つかったのは、小学6年生の時でした。たまたま転んだ際、異様に右足を痛がったんです。そんなことは一度もなかったので、念のために整形外科で見てもらうことにしました。そこで撮ったレントゲン写真に、大きな腫瘍が見つかったのです。

すぐに大きな病院の検査を受けることに。そこで「右大腿骨骨肉腫(ガン)が発症し、肺にも転移している。余命は半年」と宣告されました。病院から外泊許可をもらって帰宅できたタイミングで、瞳にそのことを伝えたんです。彼女は瞬きひとつせず話を聞いてから、私に言いました。

「ママがガンじゃなくて、私がガンでよかった」

娘の健気な言葉を聞いて、全身全霊で瞳を守ることを誓ったんです。それからガンと闘う日々が始まりました。

闘病中に書いた作文が反響を呼び、講演活動を開始

——瞳さんは、本当に強い方だったんですね。

そうなんです。入院中もいつも明るく過ごしていました。瞳は漫画家になるのが夢で、絵を描くのが大好き。白血球がガンと闘って勝利する絵、病気が治って喜ぶ私の4コマ漫画などを描き、病気が治ることを一切疑いませんでした。

その明るさが幸いしたのか、何度も奇跡的な体験をしたんです。お医者さんから無理だと言われていた小学校の卒業式への参加もできましたし、中学に入学する直前には肺のガンが完全に消えていたことも。

願ったことがどんどん実現していくのを、瞳は喜んでいました。「お医者さんがどんな宣告をしようとも、闘うのは私たち自身」と、よく語ってくれたんです。(闘病中の瞳さんの様子は、現在は電子コミックスとして販売中です)

——闘病生活の中で瞳さんは「命を見つめて」の作文を書かれた、と。

そうです。瞳は、闘病生活を通じて命と向き合ってきました。自分の命についてだけではありません。病院で出会った方々が亡くなるのを何度も目の当たりにし、その度に「一生懸命頑張っているのに、なぜ生きられないのか」と、泣いていたのを覚えています。

それに加えて、テレビで報道される悲しい事件を見て、簡単に命が奪われる社会に憤りを感じていました。「命を見つめて」には、瞳が知った命の尊さについて、そして世界平和への願いが書き記されているんです。

この作文は、地元福岡県大牟田市の弁論大会で発表するために書いたもの。大会当日、瞳は病気とは思えないほど堂々と発表し、結果は3位入賞でした。

この弁論大会は私にとってすごく大切な思い出です。なぜなら、彼女が元気な姿を見せてくれた最後の時でしたから。大会が終わって1週間後、瞳は首と背中の痛みを訴え始めました。病院に連れて行くと、ガンが全身に転移していることがわかったんです。それからすぐ、ベットで寝たきりの状態に。

2ヶ月後の2004年9月16日、瞳は息を引き取りました。最後の言葉は、明るく前向きな娘らしく「私の身体、ありがとう。私は世界一幸せだった」でした。

あまりにも突然の出来事だったので、私は立ち上がれないどころか、これからどう生きればいいかわからなくなりました。でも、そんな私の背中を押してくれたのも彼女だったんです。

亡くなってから3ヶ月後、「命を見つめて」が全国の作文コンテストで優秀賞(日本更生保護女性連盟会長賞)を受賞しました。それをきっかけに新聞や雑誌、テレビでも取り上げられ、道徳の教科書にも掲載。さらに、全国から講演のご依頼をいただくように。「娘の想いを伝える」という使命を、彼女がプレゼントしてくれたんだと思っています。

寝たきり生活で知った「生きている」ことの価値

——瞳さんと一緒に平和への願いを伝え続けてきたんですね。しかし、多忙すぎる生活に身体の限界が訪れてしまった。

そうですね。10年前(2012年頃)にもっと多くの人にメッセージを届けたいと想い、東京に移住しました。しかし、物価や家賃が高い東京での暮らしは想像以上に大変で、働く時間も増えていったんです。無理がたたって体調不良になってしまいました。

2020年の春、コロナが流行り始めた頃のことです。突然、手足に力が入らなくなり、1ヶ月後には階段の昇り降りができなくなりました。ベットから起き上がるのも大変で、ひとたび座ると1時間は動けないような状態。

瞳の兄弟にあたる子どもたちに介護をしてもらいながら、何度も病院の検査を受けましたが、どこにも異常は見つかりません。病気と診断されないので入院はできず、2年もの間、家で寝たきりの生活をすることになったんです。とても苦しい期間でした。

——現在はお仕事にも復帰されています。体調が回復したきっかけはなんだったのですか?

明確な出来事があったわけではありませんが、今思い返せば、プレッシャーから解放されたのが大きかったのかなと思います。本来、私はすごく不器用で自分に自信がないんですが、講演をしていると「立派なお母さんですね」と褒めていただくことも多くて。自然と「立派でいないといけない」と背伸びをしていたんです。

寝たきりの期間にそうしたプレッシャーからは解放されました。弱い自分を守る鎧をすべて脱ぎ捨て、「生きてること自体に価値がある」と心の底から思えたんです。不思議なことに、そうやって心が軽くなるにつれて、身体も動くようになりました。

タイミーを通じて社会復帰。幸せを感じられる今

——体調不良は、心の疲弊を教えるためだったのかもしれませんね。それから、どのように復帰されたんでしょうか。

2022年3月頃には、働けるかもしれないと思うくらいに体調が回復していました。仕事を始めたいと思い、いろんな職場の面接を受けてみることに。でも、まだ全快ではない身体のことを伝えると、年齢も年齢ですし、すべて断られてしまいました。

落ち込んでいた時に、「まずは、体調のいい日だけ働いてみたら?」と、次女がタイミーのことを教えてくれたんです。すぐに登録して求人を見てみました。いろんな仕事があることに「こんなに求めてくれている場所があるんだ」とワクワクしたのを覚えています。

それから、自分が働ける条件の職場を慎重に探しました。タイミーでの初めてのお仕事は、いちご農家さんが運営しているカフェのホールスタッフです。

——2年ぶりのお仕事はいかがでしたか?

不安はありましたが、長年経験してきた接客業務を身体が覚えてくれていたことに感動しました。そしてなにより、寝たきりだった私が人の役に立つことができ、感謝の言葉をかけてもらえることが嬉しかったんです。

働ける喜びと必要とされる喜びが活力になり、仕事にいけば行くほど身体は軽くなりました。「生きる力が、まだ自分の中にあるんだ」と確信したんです。

——私たちが社会復帰のきっかけになれたのだとしたら、こんなに嬉しいことはありません。それから原田さんは「八天堂 エキュート立川店」に出会い、パートタイムとして働くことに。どのような経緯があったんですか。

タイミーで応募して初めて八天堂さんに伺った時、直感的に「ここで働きたい」と感じました。いろんな職場を経験しましたが、ここだけ時間の流れが違うように見えたんです。働くスタッフのみなさんの所作はものすごく優雅ですし、未経験の私に対しても丁寧に声をかけてくれました。

また、クリームパンを買いに来られるお客様も本当に素敵な方が多く、お客様とスタッフの方の温かい会話や笑顔が溢れる空間に魅了され、何度もお仕事に入るように。そうしたなかで、私から長期で働きたい旨を相談し、雇っていただきました。

後から聞いたのですが、何度か一緒に働いたスタッフの方々が、私のことを推してくださったようなんです。おかげさまで今、寝たきりの生活をしていたのが嘘のように楽しく働けています。まだまだ未熟でご迷惑をおかけすることも多いのですが、ここでたくさん成長して恩返しできるように頑張りたいです。

——今後はお仕事をしながら講演活動も再開されるんでしょうか。

コロナ禍になってからはやってないので、前のように話せるか不安はあります。でも、機会があったらぜひ挑戦したいです。その時には、前のように背伸びした自分ではなく、鎧を脱いだ自分で登壇できるかもしれません。

生前、いつも瞳は「ママは、そのままでいいんだよ」と言ってくれました。評価や周りの目を気にしやすい私に、ありのままで生きることの価値を教えてくれたんです。

今の私を見たら、瞳はきっと喜んでくれると思います。手足が動いて話しができて、素敵な職場で働けているんですから。悲しい出来事はたくさんありましたが、それでも私は「生きてきた中で、今が一番幸せ」と、自信を持って言えるんです。

(写真:小園井 和生)

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/media/タイミーラボ編集部
タイミーラボ編集部

タイミーラボは、株式会社タイミーによるオウンドメディアです。

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