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今年3月に行われた『R-1グランプリ2024』で、アマチュアとして初のファイナリストに選ばれた、どくさいスイッチ企画さん。
「お笑いが趣味の会社員」として関西で活動していましたが、R-1決勝進出を機に14年間の会社員生活にピリオドを打ち、36歳で新たな一歩を踏み出しました。5月には関東に進出し、ライブの舞台に立ち続けています。
といっても、お笑いだけで身を立てているわけではありません。コントや演劇の脚本執筆や、書籍の出版、そして会社員時代に担当していた経理業務など、フリーランスとして複数の仕事を組み合わせて、生計を立てているといいます。
会社員からフリーランスへの転身には、どのような想いがあったのでしょうか。関東進出から半年が経ったどくさいスイッチ企画さんに、その背景と仕事の“現在地”について聞きました。
「お笑いが趣味の会社員」から「お笑いもやるフリーランス」へ
——今年3月の「R-1グランプリ2024」で決勝進出されたことをきっかけに、会社を辞められたと伺いました。
はい。大阪で10年勤めていた会社を3月に辞めて、5月に関東に出てきました。いまは芸能事務所には所属せず、フリーランスで活動をしています。
——10年勤めた会社を辞めるのは大きな決断だと思いますが、「辞めよう」と決意されたのは、どのタイミングだったのでしょうか?
「R-1」に改めて挑戦した2022年の段階で、「決勝に進出したら会社を辞めよう」と考えていました。ただ、決勝進出は生涯の目標と考えてたので、まさかこんなに早く達成できるとは思わなかったですね。
もともと、前の会社は副業禁止だったんです。社会人落語はずっと続けていましたし、「どくさいスイッチ企画」の活動がバレたこともありますが、会社には「お笑いはあくまで趣味です」と説明していました。
お笑いの稼ぎなどないし、趣味でやってることだから、副業規定には抵触していない認識ですと。ライブの場でも「お笑いが趣味の会社員」を強く押しだすようにしていて。
——そうなると、「R-1」の決勝進出が決まったときは、どんな感じだったんですか?
日曜日に決勝進出者の発表があり、月曜に出社したら、上司から「なぜ報告しなかったんだ」と怒られました。休日に「決勝行きました」って上司に電話するのもどうかと思うんですが。
そのあと、会社と「これからどうするんだ」という話になりました。お笑いをやめるつもりはないし、かといって副業規定に反しないように活動するのは難しい。何を優先するか考えたとき、このまま会社にいるのは違うだろうと思いました。
——なるほど。それで会社を辞めて、お笑いで稼いでいこうと?
そこなんですが……。「お笑いで稼ごう」ではなく、「お笑い“でも”稼ごう」という言い方のほうが正しいです。
僕には30代後半の既婚男性として、「ちゃんと食える人間になろう」という目標があるんです。毎月の支払いが滞ることのないように、安定して稼げる人間になりたい。そのためには、お笑いの仕事もするし、お笑い以外の仕事もしなければと思って。
今はお笑いの仕事として、ライブに出たり、脚本を書いたりするほかに、知り合いの会社で契約社員として働いています。前職でずっと経理をやっていたので、バックオフィス業務を週2回ほど。その他にも、在宅でできる経理関連のバイトをいくつかやって、なんとか月の目標を達成できている状態です。
——お笑いは収益のひとつというわけなんですね。ということは、今は「お笑いが趣味の会社員」ではなく……?
お笑いが趣味から仕事になったので、「お笑いもやるフリーランス」と名乗っています。ですので、お笑い芸人になったというより、フリーランスになったという意識が強いですね。
向いてないのはわかるけど、何に向いているのかわからなかった
——先ほど「ずっと経理をやっていた」と仰っていましたが、どれくらい続けていらっしゃったんでしょうか?
新卒で入った会社で、たまたま経理に配属されたのがキャリアのスタートです。そこで4年勤めたあと、転職先でも経理を7年担当したので、トータル11年、経理畑にいました。その後異動して、3年ほど内部統制を担当する部署にいました。
前職では消費税の申告や税制改正の対応をはじめ、リース会計や、固定資産税の支払いも担当していましたね。基本的にユーモアは一切ない仕事です。
そんなわけで、キャリアに関してはまったく冒険しないまま、最初に敷かれたレールに14年間乗り続けていたんですが……。ずっと「会社員に向いていないな」と思っていたんですね。
——14年間も! どういったところに、向いてなさを感じていたんでしょう?
与えられた仕事を着実にこなすことが、全然できていなかったんです。イレギュラー対応がすごく苦手だし、ミスをすると凹んでしばらく引きずってしまう。気分的なムラが大きくて、「今日は全然役に立たない」みたいなときもある。そういうのが積み重なって、さらにミスをしてしまう。
「うまくいった」と感じる仕事がひとつもなくて、あぁこれは向いてないな、と14年間ずっと思っていました。
でも、だからといって何の仕事に向いているかも全然わからないんですね。ずっと会社員で事務職しかやってこなかったから。
——でも、どくさいスイッチ企画さんは、社会人落語で日本一にもなられていますよね。たとえば落語家になる道はあったのでしょうか?
考えたこともありますが……。落語家は入門してから、前座修業を3年ほどやるんです。師匠の身の回りの世話などを通して、人間を成長させる段階があり、はじめて一人前のプロになる。……それって、会社員より難しいじゃないですか。
普通の会社員すら務まっていないのに、より社会性を求められる。そんなの、できるわけがないなと。落語は大事な趣味のひとつなのに、もし入門してダメになったら、趣味も失われてしまう。それもあって、「もう一生サラリーマンだな」と思っていました。
——そう思っていたのに、お笑いをやることになるわけですよね。
そうですね。コロナ禍で寄席が全部中止になって、落語ができなくなったんですよ。あぁ趣味がなくなってしまう……と思っていたら、アマチュアでお笑いをやる集まりがあると聞いて、行ってみたんです。
そこで1人コントをやったら、いろんな人から褒められて。まぁまぁ、仲間内から褒められているだけだろうと思ったら、「R-1グランプリ2022」で準々決勝まで行って。その次の年は準決勝まで行って。
会社ではやってもやっても結果が出ないのに、お笑いはやればやるほど結果が出るんです。
頑張ったことが、ちゃんと評価につながる。ようやく「これは自分に向いているんじゃないか」と思えたので、「R-1で決勝に行ったら会社を辞めよう」と決めたんですよね。
「加点方式」で考えるとプレッシャーを感じない
——フリーランスになってから半年経ってみて、今の感想はいかがですか?
いや、我ながらよくやっていると思います。本当に。
以前は、会社を辞めてしまったら「もう終わりだ」と思っていました。すべて立ち行かなくなって、1年後には息もしてないんじゃないかって。R-1バブルがあったものの、フリーランスとして半年やれたことは、ひとつ自信になりました。
今も生活リズムは会社員のままで、朝は6時起床です。他の芸人さんは夜型が多く、誰にも会えないので、午前中はネタを書いたり、10月末に出る書籍の原稿を直したりしています。昼から経理の仕事をして、夜はライブに出る感じですね。
——時間の使い方はほぼ会社員ですね。前職では仕事で落ち込むこともあったと聞きましたが、フリーランスになってから変化はありましたか?
一つひとつの仕事で凹んでいると、次の仕事に間に合わないので、気に病むことは減った気がします。これは経理が「減点方式」、お笑いは「加点方式」の仕事なのが大きいです。
経理は正しくて当たり前の仕事で、数字が誤っていたら周囲に与える影響も大きい。でもお笑いって、究極、なくてもいいじゃないですか(笑)。
ウケたらポイントが加算されて、ウケなかったら無視されるだけ。ゼロからのスタートだから、マイナスにはならないんです。
——なるほど。頑張れば頑張るだけプラスの点が入るわけですね。
だから、お笑いとまったく関係ない仕事でも全然平気なんですよ。今度、静岡のハードコアバンドしか出ないライブに出るんです。コントで。
——コントで!?
ハードコアが昔からめちゃくちゃ好きで、それでお声がけをいただいたんですけど、ウケるかはまったく未知数なんですね。これは全然わからない。勝算も一切ない。
ただ、僕がウケてもウケなくても、ライブは滞りなく進行するわけです。何も問題ありません。ウケたら「呼んでよかったね」となって、僕に10ポイントくらい入る。それだけなので。
——そう捉えると気が楽になりますね。まったく畑違いの世界に飛び込むことに、プレッシャーを感じる人も多いですから。
畑違いの世界に行くほど「ウケるわけないんだから」と、プレッシャーに感じないですね。
この前も、ラッパーだらけの大喜利大会に出る機会がありました。ラッパーにウケるわけがないと思って、のびのび大喜利していたら優勝してしまったんですよ。優勝特典が「次回大会でオリジナル曲を披露できる」なので、来年の5月までにラップを2曲作らなくてはなりません。誰か助けてください。
——会社員時代は「イレギュラーな仕事が苦手」とおっしゃってましたよね。お笑いの仕事で畑違いの世界を楽しめるようになったのは、何かきっかけがあったんでしょうか?
落語が原点にあるのが大きいと思います。落語って、余興という形で病院や介護施設など、あちこちに行くことが多いんですよ。で、意外なほどウケるんです。それはもちろん落語がテキストとして強いからなんですが、笑いを取れた達成感もすごくあって。
この人たちは僕のことを見に来たわけじゃない。だけど今日、僕のことを好きになってくれた。そこに何か広がりが見えるのが、とても嬉しいんですよね。
ピン芸人になってから、1人で責任を負うことが減った
——フリーランスになり、しかも関西から関東へ移ったとなると、人間関係も大きく変わったのではと思います。そこに戸惑いなどはありませんでしたか?
会社は基本的に同じ人とずっと働くじゃないですか。初動でミスをすると、ずっと「あの人は僕を嫌いだろうな」と思えて辛かったんです。なにか起きると「自分のせいだ」と考えてしまうし。
でもお笑いのライブだと、座組が毎回違うので気持ちが楽なんですよ。毎回、違う人たちと違うことをしている感覚ですし、なにかあっても「自分のせいじゃない」と思えるんです。
もちろん、自分のネタに関しては自分に100%責任がありますけど、ライブ全体で見たとき「これはみんなどうしようもなかったな」みたいなことも結構あって(笑)。なので会社を辞めてから、「責任がすべて自分1人にある」と思うことがだいぶ減りました。
——ピン芸人として舞台に立つようになってから、1人で背負うことが減ったというのは、逆説的で面白いですね。
そうですね。14年間の会社員生活を通して、「自分は仕事ができない」とわかったので、できないことは積極的に人に頼めるようにもなったのも大きいです。会社員で唯一良かったことは、自分の能力の底が見えたことかもしれません。
あ、あと「請求書を出すのが早い」と褒められます。経理なので。
——さすがです(笑)。では最後に、これからの目標について聞かせてください。
お笑いの目標としては「R-1グランプリ優勝」や「単独ライプ成功」などいくつかあって、最後の大きな目標が「正月番組に出る」です。お正月のネタ番組は、めちゃくちゃ売れているか、賞レースで結果を残した人しか出られないので、そこに出るのが夢ですね。
あとは本当に、長く続けることですね。会社を辞めるとき、父親からは「引き際だけは見誤るな」と言われたんです。今は調子がいいからガンガンやればいい、でもダメだと思ったら、すぐ他の仕事をしろよと。
そうならないように、他の仕事もやりながらお笑いもやって、いい状態を継続させていくのが中長期的な目標です。たとえ今後お笑いが仕事にならなくなったとしても、お笑いと落語は大事な趣味としてずっと続けていければと思います。続けてさえいれば、趣味から収益の柱になることもわかりましたので。
(取材・執筆:井上マサキ、撮影:関口佳代、編集:プレスラボ)
■書籍情報
『殺す時間を殺すための時間』
(著者:どくさいスイッチ企画/発行:KADOKAWA/価格:1,650円(税込))
- タイミーラボ編集部
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