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タイミーは、時間や場所、年齢など「はたらく」にまつわるあらゆる障壁を取り除いた「ワークバリアフリー」な社会の実現を目指しています。世の中にはどのような障壁があり、どのように取り除いていけばいいのでしょうか。
そのヒントを得るために、今回お話を伺ったのは「注文に時間がかかるカフェ(以下、注カフェ)」オーナーの奥村安莉沙さんです。注カフェは、言葉が滑らかに出ないことがある発話障がい「吃音症」により接客の仕事を諦めかけていた若者に対して、接客に挑戦するきっかけを提供しています。
実は、奥村さんも吃音があり「接客には憧れるけど、私には無理だ」と諦めていた時期があったそう。そんな奥村さんは、注カフェを始めるまでにどのような挑戦をしてきたのか。吃音のある方も働きやすい環境をどのように作っているのか。ワークバリアフリーな社会を実現するためのヒントを伺います。
「近づいたら感染る」と言われ人と話すのが怖くなった過去
——まず、奥村さんの現在について教えてください。
現在、注カフェの運営を始め、講演活動や吃音に関するさまざまな啓発活動を行っています。会社を立ち上げているわけではなく個人としての活動です。
また、注カフェを始めた理由でもありますが、私自身も吃音の当事者です。吃音には大きく分けて、「あ、あ、ありがとう」と音を繰り返す「連発」、「あーーりがとう」と音が伸びる「伸発」、「・・・・ありがとう」と言葉がうまく出ない「難発」の3つの症状があります。
私は難発で特に「あ行」が苦手です。子どものころから、なるべくあ行を使わないような“言葉の言い換え”を意識して過ごしてきました。
——吃音の症状を自覚されたのはいつですか?
小学生のころです。ある日、昨日まで仲が良かった友達が、突然話してくれなくなったんです。後から話を聞くと、その子の親御さんが授業参観の際に私の症状に気づき、「吃音が伝染るから遊んじゃダメ」と言ったとか。
それきりその子とは遊ばなくなりました。さらには「話すと感染る」から「触れると感染る」「近寄ると感染る」と噂は大きくなり、みんなから避けられるようになったんです。
もともと友達と話すのが大好きでしたが、その一件で人と関わるのが怖くなりました。
——辛い体験をされましたね......。いまの奥村さんは人と話すのが怖いようには見えないのですが、なにか変化のきっかけがあったのでしょうか?
高校2年生まではとにかく吃音を隠して、一人で抱え込んで生きていました。でも、症状はどんどん重くなる一方。悩んでいたときに『いのちの初夜』(北条民雄、角川文庫、1936年)という、ハンセン病の主人公を描いた小説と出会ったんです。
小説が書かれた時代にハンセン病は差別の対象で、患者は強制的に施設に収容されました。主人公も施設に連れて行かれて絶望していたところに、同室の人から「ハンセン病は治らないけれど、受け入れたらまた新しい道が見つかるかもしれない」と言われます。
私はその言葉に衝撃を受けました。吃音に対する自己嫌悪があったのですが、それを受け入れてみたらなにか変わるかもしれない、と。それで、吃音と向き合おうと思えるようになり、徐々に周りの人にもカミングアウトするようにもなったんです。
大学の入学式では、「話し方がゆっくりですが、待ってくれると嬉しいです」と自己紹介しました。意外なことに、みんなが笑ったりせず受け入れてくれたことで、私自身の殻も破れていきました。
オーストラリアで出会った、誰もが楽しく働けるカフェ
——働くという観点で、吃音による障壁を感じたことはありますか?
色々あります。たとえば、高校卒業後の春休みにした初めてのアルバイト。スーパーの試食販売員でしたが、運が悪いことに担当した商品は「あ行」から始まるチョコレートでした。初めてのアルバイトという緊張も相まって、5時間の勤務中ずっと商品名をどもり続けたんです。
近くにいたレジ打ちの方からは、つっかえる度に笑われる始末。本当に辛かったです。「人と話す仕事は無理だ」と思い、そのアルバイトはすぐに辞めました。
また、大学卒業後の就職活動でも、自己紹介が毎回スラスラ言えず200社くらい落ちています。なんとか訪問介護の会社に入れたのですが、まさかそんな自分がカフェをやることになるとは思っていませんでした。
——注カフェを始めたきっかけを教えてください。
もともと小さいころから、カフェで働きたいと思っていたんです。カフェ好きな母の影響でよく行っていて、店員さんたちの格好いい姿に憧れていました。でも、先ほど話した小学校での経験や初めてのアルバイトの経験もあって諦めていました。
転機が訪れたのは、訪問介護の会社で働き始めて2年目のこと。吃音に対してだいぶ前向きに考えられるようになっていた私は、自分の可能性を広げたくてオーストラリアに語学留学に行ったんです。
そこで、ある個人経営のカフェに出会いました。そのカフェは、障がいや病気のある方、路上生活者や移民など仕事に就きづらい状況にある方が就業体験を積めるプログラムをやっていました。驚くことに、そこでは障がいにより言葉が完全に話せないオーストラリア人の中年男性が身振り手振りで楽しそうに接客をしていたんです。
その姿を見て、私の中にあった「言葉がスラスラと話せなければ接客はできない」という思い込みは外れました。そして、日本に帰ったら、吃音のある人でも接客ができるカフェを作ろうと決意したんです。帰国後、数年働いたのち、SNSで吃音のある学生さんたちを誘って1回目の注カフェを開催しました。
吃音のある若者が安心して働き、成功体験を積める場所
——奥村さんが開催されている注カフェについて、詳しく教えてください。
注カフェのコンセプトは2つあります。1つは、「吃音のある若者が接客に挑戦して、自信を持ってほしい」ということ。もう1つは、「吃音を知らないお客様に、スタッフとの交流を通じて理解を深めてほしい」ということです。
カフェと言っても、店舗があるわけではなく、全国各地で場所を借りて月一のペースで開催しています。いきなり対価をもらって接客するのが不安なスタッフも多いので、提供するコーヒーや紅茶はすべて無料。スタッフもボランティアとして働いています。
注カフェはお金を稼ぐ場所ではなく、アルバイトをする前段階として接客の成功体験を積める場所。「無料だから失敗しても大丈夫だよ」と、挑戦のハードルを下げているんです。
——各地でやっているということは、毎回スタッフやカフェの内容も違うのですか?
開催地ごとに新しいスタッフを募集して、当日に向けてオンラインでの顔合わせや企画作りを進めていきます。若者が主役という方針のもと、若者たちが主体的に活動することで達成感から自信に繋げています。
注カフェとしての大枠は用意しますが、何をするかは若者たちに任せています。過去には料理好きのスタッフたちによる開催地の特産品でドリンクを作ったり、クリエイティブなスタッフたちは映画を作ったりしました。
また、開催後には、一緒に働いたメンバーで振り返りを行います。それも含めて4ヶ月くらい活動するので、文化祭を作るようなイメージですね。
——吃音のある方の「はたらく」にまつわる障壁を取り除くために工夫されていることはありますか?
特徴的なものは3つあります。1つは、カフェの入口で吃音について説明をして、入店前のお客様に吃音について知っていただくことです。一般的な内容を知ってもらうだけでも、吃音当事者からすれば安心につながります。
2つ目は、自分がお客様に知っておいてほしいことや、してほしいことを名札やマスクに書くことです。言葉が詰まったときに「言葉が出るまで待ってほしい」「先回りして代弁して欲しい」「うなづいてもらえると安心する」など、100人いたら100通りの「こうしてほしい」があります。それをわかりやすくすることで、お客様とのコミュニケーションをスムーズにしているんです。
3つ目は、接客のセリフにマニュアルを設けないこと。私が「あ行」が苦手なように、特定の音が言いにくい人もいるので、話しやすい言葉に言い換えられるようにしています。お客様からも、「マニュアル通りの接客ではなく、温かみを感じられていい」とご評価いただいているんです。
——成功体験を積めるような仕掛けが随所にあるんですね。実際、注カフェで働いたことで、変化があったスタッフさんはいますか?
たくさんいますよ。たとえば、吃音が原因で学校で辛いことがあり、普段は自分の部屋にこもっている高校2年生の女の子。初めてオンラインで話した際、彼女自身で受け答えができず、お母さんが代わりに話していました。
そんな子が、自ら注カフェに応募して接客にチャレンジしてくれたんです。ご両親もお客様として来店されたのですが、働く彼女を見て「こんなふうに話しているのは見たことがない」とびっくりされていました。
その日から少し経って彼女と再会すると、なんと自分から「あの時はありがとうございました」と話しかけてくれたんです。一緒にいたお母さんが驚いていました。表情もすごく明るくなり、自分から話しかけられるようになった彼女を見て、私も感動しました。
他にも、注カフェでの経験を通じて自信をつけたことで、目標だった有名カフェチェーンのアルバイトに応募ができ、実際に受かって働いている子もいるんです。
違いを受け入れ、他者への想像力を持つことから
——注カフェのようにハンディキャップを持つ方も楽しく働ける職場が増えたらいいなと思います。そのために必要だと思うことはありますか?
日本の職場に感じることとしては、一定の枠みたいなものがあって、そこからはみ出した人たちが途端に働きづらくなるということです。吃音などの身体的な特徴以外にも、働ける時間の短さなどさまざまな要素によって、働きづらさを感じている方は多いと思います。
これは、日本が大多数が同じ民族で暮らしてきたことも原因の一つじゃないかと思うんです。相手も自分と同じという意識が強いからこそ、枠から出ることを嫌ったり、「阿吽の呼吸」での意思疎通が大事だとされる。
一方、多民族国家のオーストラリアは、バックグラウンドが異なることが前提なので、相手を理解するために質問をたくさんします。しかも、「吃音当事者はどうしてほしいの?」ではなく「安莉沙(奥村さん)はどうしてほしいの?」など、個人のことを聞いてくれるんです。
この「個人の話に耳を傾ける」ことが、働くうえでの障壁を無くすために必要だと思います。マニュアルなどを作り、いかに「同じように働かせるか」を考えるだけではなく、いかに「違いを受け入れあうか」も考えていきたいですね。
——相手と自分は違うという前提を持ち、聞くことから理解を深めていくのが大切だと。
これはなにも、ハンディキャップを抱えている人に対してそうしてほしい、ということではなく、全員が全員に対してできるといいと思っています。吃音のある私は「スラスラ話せるアナウンサーがうらやましい」と思っていました。もしかするとそう思っている吃音者は多いかもしれません。でも、そのアナウンサーも、裏では何か困りごとを抱えているかもしれない。
一概に人を「支援する側」と「支援される側」に分けることはできません。大なり小なり誰もが困りごとを抱えているからです。他の人に対する想像力を持って、いざというときにお互い支え合える関係性を作ることが、働く障壁の低い職場や社会につながると思います。
——最後に、注カフェで実現していきたいことや今後の目標を教えてください。
「100人に1人は吃音症である」と言われているにもかかわらず、社会の吃音への認知や理解はまだまだ広がっていません。「話すと感染る」といった根拠のない誤解や偏見も残っています。そう思われることを恐れ、当事者側も吃音のことを隠し、より認知が進まない現状もあります。
だからこそ、注カフェの活動を通して吃音への認知や理解を進め、センシティブなものとして蓋をするのではなく、オープンに話し合える風潮を作っていきたいです。そのためにやりたいことはたくさんあって、身体一つだと全然足りていないのが最近の困りごと。
でも、焦ることなく一つずつじっくりと実現していきます。最終的には「吃音当事者が夢を諦めないでいい社会」を作りたいです。
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※記事内の写真は提供写真です
<編集後記>
普通に友だちと話し、普通に就職して、普通の生活を送る。
吃音当事者の私は、「普通」に対する憧れをずっと持っていました。今回の取材でそのことを奥村さんに伝えると、「『なぜ自分は普通じゃないんだ』と悩む吃音者も多いですが、『普通に見える人』も何かを抱えているかもしれない。そんな想像力を持つことも大切だと思います」と話してくれました。
その言葉を聞き、私自身も自分の枠組みでしか他者を見ることができていなかったのだと気づきました。お互いに想像力を持つ —— 単純なことのように見えて難しいこのキーワードは、すベての人が生きやすくなるためのワークバリアフリーな社会の実現へのヒントが詰まっているように思えます。
タイミー 石井裕治
- タイミーラボ編集部
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